ここを空港と呼んでいいのか? 3,000メートルの滑走路を擁し、しかもILS(計器着陸装置)を滑走路の両端に備える設備を有しながら、議論の分かれるところだと思う。言うまでもなく空港とは定期便が発着し、乗客の乗降がある場所を指すだろう。その意味でここはもう空港とは言い難い。なにしろ1994年、それまで就航していた南西航空(現在の日本トランスオーシャン航空)の那覇/下地線が廃止されてからというもの定期便の運航はないのだから。場所は宮古島のすぐ西にある伊良部島、その背後に言葉は悪いがコバンザメのようにくっついているのが下地島だ。伊良部島と下地島の間の海峡はわずか数十メートルの幅の水路が3キロほど続く特殊な地形で、6本の橋で結ばれている。なぜこの場所にこれだけの飛行場が存在しているのか。それはここで民間パイロットの実機訓練が行われていたからである。日本航空と全日空の航空大手2社が1979年以降この空港を利用して自社パイロットの訓練を開始した。大型機、当時でいえばジャンボジェット(ボーイング747型機)も充分離発着ができ、他の定期便をあまり気にすることなく飛びまわれるのは国内においてはここをおいて無かった。島の面積の大半は飛行場の敷地で占められており、人が住む集落は1か所しかなかった。滑走路を周回する一般道には多くの航空ファンがカメラを手に駆け回る。光り輝くエメラルドグリーンの海と澄みわたる南国の青空を背景にタッチアンドゴーを繰り返す大型機の迫力はここでしか写せない絶好の被写体だったのだ。しかし2010年経営破綻した日本航空がまず訓練を終了し、追って2014年3月には全日空も撤退した。結局現在は海上保安庁と琉球エアーコミューターが小型機の訓練飛行を行うのみとなってしまった。なおこの島の西海岸には「通り池」と呼ばれるふたつの神秘的な池がある。底部で海と繋がっているという。このため潮の干満によって水面が上昇下降し、サーモクラインと呼ばれる現象により池の色も微妙に変化する。そのさまは神秘的であり、不気味でもある。皮肉なことに大型機の飛来がなくなって一年、今年2015年の春宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋が開通し、宮古島から下地島までは陸続きとなったのだった。