「やがて来む、寿永の秋の哀れ、治承の春の楽みに知る由もなく
六歳の後に昔の夢を辿りて直衣の袖を絞りし人々には今宵の歓会
も中々に忘られる思寝の涙になるべし」とあくまでも格調高く
文語体で始まるのが明治の文人高山樗牛の傑作小説『滝口入道』
です。樗牛弱冠二十三歳の作品と知らされればその古典的教養の
高さは驚くべきものがあります。コラム筆者は高校生の時にこの
作品を読み、ロマン主義の濃厚な世界に強く惹きこまれたのを
昨日のことのように憶えています。
平重盛の家臣斉藤時頼と、建礼門院の侍女横笛との完璧
なプラトニックラブを高らかに謳いあげた『滝口入道』を
旅の前に読むか、旅の後で読むかはけっこう難しい問題で
すが、わたしなら「事後読み」を断然おすすめします。
その方が実際に見て来た場所を土台にしてイメージを
ふくらませることができます。斉藤時頼が横笛との叶わぬ
恋を打ち捨てて滝口入道となり、隠棲したのが滝口寺と
されています。法然の弟子良鎮により創建された往生院
の跡地に滝口寺はあるのですが本尊は阿弥陀如来です。
本堂には滝口入道と横笛の木像が並べて置かれており、
現世では叶わなかった二人の恋をせめて木像たちに育んで
もらおうという後世の人々の優しい思いが垣間見えます。
門前には横笛が記したという伝説が残る歌石もあります。
「山深み 思い入りぬる柴の戸のまことの道に われを
 導け」。

滝口寺からまたいったん麓の道に戻り、しばらく北上
するとやがて道は六反町の四つ辻にでます。ここを
左に折れて行けばやがて千灯供養で有名な化野念仏寺
に辿り着きます。ここでは四つ辻を右折して大覚寺
に向かいましょう。嵯峨野周遊の旅もいよいよ終盤を迎え
ます。
大沢池の畔に建つ大覚寺は真言宗大覚寺派の大本山。
鎌倉時代には、天皇の生前退位に関連して話題にのぼる
院政がここで行われていました。後嵯峨上皇、亀山法皇、
後宇多上皇がその立役者でしたが、こうした機能から
ここのことを旧嵯峨御所大覚寺門跡と呼びならわされ
ました。大覚寺には狩野山楽らによる障壁画が238面
も残されており門跡寺院の華やかさが偲ばれます。

嵯峨野からは少し離れますが、鹿王院も筆者お薦めの
小寺院です。ここの素晴らしさはそのアプローチにあります。
京福線(嵐電)を鹿王院で降りるとすぐ回り込むように
参道に取り着きます。山門から続く石畳の参道が特徴で
新緑や紅葉の季節には遠近感のあるパースペクティブに
木々の色彩が浮かび上がって何とも言えない風情を
醸し出しています。ぜひ一度お訪ねください!